雪と関西人

私は関西人である
大阪生まれ
兵庫と和歌山で育ち、京都奈良に遊び、滋賀の水を飲んだ

関西人にとって雪は善である
関西にひとたび雪降らば、全ての争い事は中断され、人びとはその感動を分かち合う
恋人同士の甘い時間は永遠に続くかのように思われ、全ての子供たちは空を仰ぎ見、
そこに天使の存在を想う、、

さて、そこに先日の大雪である
勿論その日も私たち関西人は、変わらず雪を愛で、褒め称えた

、、しかし、満を持してたっぷりと雪の積もったアウトサイドに出た私は
思わず呟いたのだった
「寒い。」
ふかふかした路面は非常に歩き難く、傘を持つ手はかじかみ、耳はぴりぴりする
私は初めて雪に対して不信を抱いた
「こんな形で裏切られるとは」
生活に直結した関東の雪の厳しさを思い知らされた私は、
そう独りごちながら最寄りの京王線の駅、府中駅へと急いだ
ふかふかに足を取られながらもなんとか駅に着いた私は愕然とする

、、電車が来ていない
三十分の遅延だそうだ
漸く到着した電車もすごくのろのろと進み、もう一つ私を驚かせたのだった

、、そして私は、自身の無根拠な雪礼讃に対し疑念を抱き始めた
本当に完全な善などあり得るのか?

数日の間モヤモヤした私は、一つの結論に達した
間違っていても構わない
それはこうだ
ふかふかした路面は、ゆっくりと大地を踏みしめながら歩き、
周りを見ながら慎重に事を進めること
電車の遅延は、時に立ち止まって考えることの大切さ、
を教えてくれたのではないのか?
私は少し焦り過ぎていはしなかったか?

、、なんか、良き羊飼いヨブの話みたいやなあ、と思いつつ、
この話の落ちが全然思い浮かんでこないのであった

関西人だからと言って全ての話に落ちがつけれる訳ではない、
そのこともまた、私に何かを気付かせてくれるのかもしれない

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コメント: 1
  • #1

    カイモリ (水曜日, 20 3月 2013 01:15)

    かつて大槻ケンヂが、中島らものエッセイは炊き立てのご飯を彷彿とさせると喩えたのにも似た想いに駆られております。