魂について

大阪人の問題点として多方面から指摘されるのが、

優先順位の他県民との相違であろう
実際、大阪人というものは面白いということに異常なまでに執着する
大阪の小学校において運動神経や成績の良さは

決して首位ではないということは広く知られている

特徴的な大阪弁に、ちょける、という言葉があるが、

このニュアンスを東京の人に伝えるのは少し難しい
東京でいい大人がちょける場面がないからだと言えるが、

大阪においてはオフィシャルに大人がちょけているのを

非常にしばしば目撃することができる

 

問題はこの点である

 

大阪と東京を行き来する私のようなコスモポリタンにとって、

ローカリティーの秘匿は重要課題だろうが、

大阪と神戸のハーフである私のDNAが黙らない、

 

血が騒ぐ、

ちょけさせろと

 

だが、東京はちょける場所ではない
関西の風土においてのみちょけは風水のバックアップを得るのであり、

氏神様のついていない背水の陣におけるちょけが

単なる破れかぶれの戯けに堕する時、

その場のアトモスフィアはアウターゾーンへの入り口となるのだった

面白うて
やがて悲しき
エトランゼ

関西出身の芭蕉もそういう句を残したはずである

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コメント: 2
  • #1

    hachiko (水曜日, 19 10月 2011 21:45)

    結局ちょけるとは何なのか、それが疑問ですw

  • #2

    小原まさてる (金曜日, 21 10月 2011 11:12)

    そんなちょけるあなたも魅力的なのである。