gとMPと私

私はわからなかった
何故その男がいるのか
彼が居なければ素晴らしいグループなのではないか、そう思ってすらいた

九十年代に流行したそのグループのCDを私は一枚も買わなかった
理由は当然彼である

女性一人に男性二人という編成自体は当時珍しくなかった
ドリームズカムトゥルー辺りからの流行とも言えた

あらゆる三人組のグループの中でも三人目の役割りというのは難しいのであろう
ドリカムのピアスの人はキーボードを弾いていたが薬に溺れ、ヒスブルの人は事件を起こしELTの人はいつのまにかいなかった

しかし、彼らは楽器が出来た
野村義男のように、そこにアイデンティティを持ってくることは可能だっただろう
堕ちたのは彼らの弱さゆえといえる

私が理解出来ないその男は楽器が弾けなかった

もしかしたら弾くことは出来たかもしれない
凄いテクニックを持っていた可能性はある

しかし彼は弾かなかった
私は彼が演奏してるところをみたことがない

では何故彼はいたのか
時に彼のパートは一曲の内の三分の一を占めた

まさか?とお思いになるだろうか
その時間一体なにをしていたのか

彼とはピエール瀧ではない
ピエールも楽器は弾かないが、踊ったりはする
TRFの人達だってそうだろう
だからピエール的に何もしないことには問題はない

厳密にいえば彼は何もしなかった訳ではない
私は、バンドなどにおいて全く何もしない人に対して憤りを感じるほど

グループ活動に理解がない訳ではない
ナンセンスやジョークにも開いた心を持つよう心掛けている

だが彼は、台無しにしているように思えた
そのグループの音楽的飛翔を、まるで錨のように彼の独特の朗読によって
地面に引き戻しているように思えた

当時の私はそのようなものに対しての寛容さはなかった
若かったのかもしれない

そうしているうちにそのグループの名前は聞こえてこなくなっていた

あれから十五年が過ぎ、私もそこそこ傷付いた
人を傷付けたこともあるだろう
私はそれなりに深みのある大人になった

そんな時に思い出した彼のこと
今なら私は彼を深く理解することが出来るだろうか
そして許すことが

私はYouTubeでそのグループをさがし、祈るような気持ちで聴いてみた

何曲か聴き終えたあと、私が得たものは確かな心の震えと一条の涙であった

そこにあったのは彼の迷い、怯え、怒り
そういうものではないような気がした

エゴなどなく、言われたことをそのままやってる人、みたいな不思議な透明感

そういう生き方
そんな言葉でしか語ってはいけないかのような葛藤の無さ、自我の無さ

ポップミュージックとして考えた場合に、そのグループの曲は
非常にしっかりと作り込んであり、それに乗る歌詞もメッセージ性が高い
故に、時に重くなり過ぎるように思える
だが、絶妙のタイミングで挟まれる彼の朗読によって、
ちょっとどうでもいいような空気感が生まれるのである

もしこのグループの曲をカラオケで歌った時、彼のパートがなければ、
そこには重たい、沈んだような空気が流れることになるだろう

箸休め

若い頃にはわからなかった存在

彼はそうだったのではないか

そういう風に納得出来た時、私はいままでの長い空白を取り戻すかの様に
井の頭線に飛び乗り、浜田山のブックオフで二百五十円だった
彼らのベスト盤をうれしく買ったのであった

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コメント: 3
  • #1

    yottama (土曜日, 01 10月 2011 00:00)

    お店ではしばらく、
    グロ●ブが聴けるのでしょうか?

    またうかがいます。

  • #2

    iq-3 (水曜日, 05 10月 2011 12:13)

    なるほど、長らく私のオハコのグループでしたが、そのような聴き方はしてませんでしたな

  • #3

    sachi* (水曜日, 09 11月 2011 15:53)

    最近カラオケでのマイブーム☆★